itomanoma

7年半の会社員を辞め、31歳単独フリータイムの心の変化を記録します。暇(itoma)の間(ma)?

やりたくないことをやめつづけること、実験。

いま、わたし、デザインを仕事にしていることは嫌いだ。

きらいっていうか、デザインというか、

それだけで表現するのはあまりにも大雑把すぎるし広域すぎるので

「仕事でやらなければならぬゼロからの絵作りを9割完成型での複数テイスト違いでの提案を」の部分。ちょっといまことばがうまく思いつかないので

また今度書きなおす。

 

さっき提案できるクオリティのものを3案+バリエーション作って

お客さんに送り終わった。Tシャツのグラフィック仕事でした。

提出しおわったこの瞬間はとても自分を誇らしく思う。だから毎回苦痛の時期を忘れちゃう。

でも今、いや作業に日のつく時間のずっと。

このTシャツの絵作りの仕事を

自分に来る受注だったとしても絵作り仕事の最後にしようと思っていた。

 

もの心ある幼少期の頃。

好きな本を買ってあげるからもっておいで。

そう言われたときに持って行ったものは

だいたい確か「塗り絵」の絵本だった。

 

小学校5-6年生のとき。

ずっと自分の机で水彩の絵を描いていた。何時間も何時間も。

ご飯で呼ばれる、その時間以外はずっと机に向かって

今度はこんなの描いてみたい、こんな色を塗っていたい。そんな実験に没頭してた。

それは本当にご飯を食べるとか友達と会ってるとか以外の時間

ずっとのことで、胸をときめかせて時間をわすれて没頭していた。

イマジネーション。水彩。色塗り。滲み。濁り。滲み具合。大事なライン。

この時間がなくなったらわたしどうしよう、って思ってた。

絵がなくなったらこの費やしてる時間、一体どうするの?

わたしもぬけのからになる。

そのときのわたしがやりたいことはまちがいなく、

「頭の中に浮かんだ絵を水彩着色で時間を忘れて描くこと」だった。

 

中学校ごろのとき。

好きな色塗りは好きな色塗りとしてやっていた。

それはもう心をときめかして。

けど「絵描くの没頭してるのってなんか暗いイメージだしイケてないんじゃ」

思い始めたけど油絵部に入った。

顧問の増爺(あだ名)は会話こそほとんどしないんだけど何故だかよくしてくれて。

部じゃない美術での空想画とかでも98点とかかくれた。(のちに数学は20点とかばかりになる)

さぼるとすぐバレた。

(余談と後日談)そして7年後くらいにわたしは増爺に再度会いに行き、進路の相談をしにいった。

その頃の先生は知らないうちに中学部の部長なっていて、美術が好きだろうにそれだけやってられる仕事でもなくなる立場にいて、美術授業だけでも毎年毎年覚えきれない生徒の数を見ているだろうに、更に中学から成人を越えた女子なんて見た目も雰囲気も別人みたいになってるわたしの訪問に、「あーお前かー」と覚えていてくれてまたそこでいきたい方向の背中を押してくれた。

 

高校の頃のとき。

なんかしら描いていたんだけど、

中学の頃の思春期ナンカイケテナインジャ感発症からあまり描かなくなった。

目にする色使いにときめくことも少なくなったような。

それでも高校を卒業したら桑沢とかバンタンとか美術系専門学校か、無理ならそのまま進学できる大学も美術専攻か、に行きたかった。

けど美術の進路への進学は、「食えない」と、親に禁止された。

 

大学生のとき。

美術の次に興味があるのは語学系くらいかな、

で進学したが、いざ就職活動のときにさしかかったとき

グラフィックデザイナーという職種があることを知って、

「これになろう!!」と決めた。

決めた時、一人暮らししてる自宅で、

となりに週3ぐらいで一緒に遊んでいたあゆみちゃんが

隣でぐうぐう寝てた。今でも覚えてる。

その時頭の中にあるイメージは

「自分の作ったものが渋谷の大型看板飾ってるイメージ」だった。

これならできるかも!と思った気持ちが強かった。(←まだ何も知らない青くささにご愛嬌笑 デザインも広告畑しか知らない頃)

だけどそれは、「これならお金も稼げるしきっと世間的(専門へ行くのを禁止した親にもぐうの音もいわさず)認めてもらえる道だ!」という発見という角度だった。

経験も美術系大学でもないわたしの就活は散々で(ちょっとしかしてないけど大体鼻で笑われて終わるからすぐ答えはでた笑)

マック、イラレ、フォトショ、デッサンを職務技術として短時間で学べるところに1年通うことにした。

 

就職してから。

掃除雑用のアシスタントからはじまり。

1年後くらいにグラフィックデザイナーになった。分野は最初にイメージした広告分野ではなく音楽系のエンタメ関係のいろいろ。

音楽は好きだったからそれは最初からなかなか良い出会いだった。

ただまあ夜はねれなかった、家に帰れなかった、朝は早かった、会社にずっといなきゃいけなかったし、無我夢中で目の当たりにする課題に取り組んでいた。

デザインの引き出しの中でわたしは案外アイデアを出すのが苦痛なタイプなのだと知った。

手を動かしながら、ここをこうしていこうここのいろをこうしていこう、

そしたらこんな感じになっていく。。。いいねいいね。

こんな感覚や色を塗ることが好きなことなんて全く持って忘れていた。

 

9年くらい経った。

ずっと付き合いのあるお客さんもついてくれた。

困った時に手伝って欲しいと依頼してくれる先輩同僚もいる。

最後にいた会社からは戻ってきてくれと2年越しにも言われる。

キャリアといえるものも気づいたらできてた?

会社を辞めフリーランスにもなった。

何の肩書きもないがちょこちょこと依頼も来るので会社辞めても案外ずっとデザインの仕事を継続していた。

「やめたいかも」「もったいないよ」幾度となくそう言われた。

この仕事の内容を知らない友人にほど言われた。

 

さっきTシャツの仕事のデザイン提案を提出した。いま。

 

やっぱ、やめようかなあ。

もうこの感覚でこの仕事をし続けていくこと。

最後のデザイン作りだ。と、おもって提出した。

いつからだろう、

ずっと見ないふりしてきていた。

 

でもいつからか実は、もうわたしは絵造りと仕事の狭間の捨てられて行くあれやこれやの部分をもう全然やりたくなかったんだ。

 

あの時やりたかったことや目指してみたことをずっと続けてきてやってきた。

あの時目指したことへの気持ちには1mmも間違いはない。そして全部実現してきた。

 

今やりたくないことをやめ続けていきたい。

 

Tシャツのデザイン、3案出して、

出し終わったあとの自分はいつも誇りに思う。

この感じ好きだ。本当に自分をねぎらいたいし、自分的完成度が全然ダメでも

「よくやった」と毎回思う。

しかしわたしはアイデア出しからイメージ構想からお客さんに出すものになるものまでなるところまで、は、本当に苦痛だ。

最近それがより一層顕著になってる。

 

 

私は色を塗るのが好きで、

好きなラインで絵を描くのが好きで、

でも心底それができるのは「仕事として」じゃなくて、

だけど「仕事として」得られる誇りやプライドやり方経験も沢山あって。

そしてある意味「仕事だから」あるプレッシャーのおかげで完成させられるビジュアルたち。

イデア出し、構成構想、修正対応、没になるのに作らなければいけないかわいい絵たち。

 

これからはいっこいっこ、

やりたくないことをやめ続けて見ることの

実験をしていこうと思います。

「やりたくないとこはどこか?」細かく細かく細分化してその単位でやめていく。

デザインは好きだ。求められた挿絵を描くのも好きだ。もちろんお客さんとの持ってく先を見据えた仕事としてありき。

オペレーターとして手を動かすのも好きだ。

 

んーわかんない、苦痛なのは、ただ、ただ、仕事で必要な捨てなきゃいけない絵造りをしなきゃいけない部分のストレスと、リクエストの中今わたしができるいいと思ってできたものをただ捨てないでほしいだけなのかも。(デザイナーはお客さんに対して選択肢をつくらないといけない)

 

はて、書いていてまだまだ青くさい自分を実感しました笑