読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

itomanoma

7年半の会社員を辞め、31歳単独フリータイムの心の変化を記録します。暇(itoma)の間(ma)?

生き方とか働き方の枠を決めないでどこまでやってけるかな実験みたいな感覚で、意外といけている、という実感。

仕事に対して意識は低い方ではないと思っているから趣味感覚ではもちろんしてなくて、だけど世のお父さんがたほどバリバリだぜ!みたいな感じでもない。立ち位置でいったら世間的にはフリーターなの?ってこの間友人に聞かれた。あっそうか確かにフリーとはいえ事業申請してるわけじゃないからそうなるのかなと気づいたけど、なんかしっくりこない。仕事もやり方とかやることとかやりたいことは自分なりの基準を持って選んで、そのときのベストは尽くす努力はしてる。
苦手なことや困ったもあぶりでてくるけど、明らかに苦手だって認識するだけで一歩進歩。困ったことは解決や何かしらのたちまわりができればまたひとつ手立てを見つけられた、との糧になる。
で、結果、予想より若干ノープラン時間が意外といけてる。2回にわたり先輩の仕事を手伝えているのが大きい。

旅行、超繁忙、ヒマ、日常、みたいなコントラストが強い毎日になってる。

「名前(肩書き)」とか「普通」とか、実は本当に実体がない。わかりやすくするためにカテゴライズしてるだけ。名前がつくと名前にまつわるイメージが付随してくるからときに紛らわしいし、めんどくさいなーと思う。

自分ことの意思決定を自分以外の他の誰かに受け渡すとストレスが生まれる。他人や自分の環境に委ねてたら委ねるという意識でないといけない。ストレスになるから。不満なことがあればちょこっとずつずらす。やりたいことがあって今すぐできなきゃ準備したり、虎視眈眈とタイミングを見計らう。と、不満な時間から自分のための準備期間、に意識が変わる。
時間を割いていること=自分が大事にしていること。これの純度を高めていくことが、自分の精神部分を密に満たしていく何かの量が増えていくように思う。
大事なのは自分がしたくて選んで生きているという意識だと思う。極論、この世に生まれてきたのも自分で来たくて決めて来たんだと思う。
そう考えると、最近身近に本当にたくさんいるけど、今生まれてきたとてもちっちゃな赤ちゃんたちにも尊敬の念が生まれる。こんなちっちゃいのに決めて来たんだね。すげーって。
生まれる前までに迷ったり、決めきれなかったり、なかなか覚悟が決まらなかったり、時間がかかったり、赤ちゃんにも赤ちゃんの都合があるんだと思う。

自分で生まれると決めて来て、生きてる間の自分の役割というか、なんとなく向けられてる気がする方向というか、こっちだよ〜的に手を振られている方向みたいなのはきっとある気がしている。一般的な当たり前に沿うことじゃなく、なんか惹かれる、もしくは置かれた道を全うしようとすることに真摯に取り組むことがすごく価値あることに思える。てか、当たり前、にも実体がない。当たり前なんてないと思う。(私の中の当たり前、あなたの中の当たり前という考えならあると思うけど。みんなの当たり前、はいつか死ぬことくらいじゃないかしら)
そんでそういう方向とか役割なんて、探したって別に見つからなくて、今の1分1分に自分がやるってしてることをコツコツ手と頭うごかして見て体も動かしていかないとはじまらない。

絵とか描いていて本当に時間がかかる作業だけど1分1分だけ見てとにかく手を進めるといつかやったぜ!みたいな感じで完成する。間に合わせたい期限があればその制限がある中での完成形ができる。もってきたい方向を見て、想像して作っていけば、どんぴしゃに完成はしなくてもたとえ納得できる部分が1mmだけだとしてもそっちには寄っていく。次に描いたらきっともっと寄る。

先の不安は今やることのあとに、その番が来たら向かいあうときが来るから実体のない先の不安に身を任せないで、今の1分1分を確実に手と頭を使ってを進めることが大事なんだなって、実生活でも思います。不安があったらちょこっとずつ準備する、とか目線をずらす、とかする。逃げる&見て見ぬ振りすると嫌な気分がのびる笑 体がいやな感じにざわざわする。逃げられないけど少し逃げたいときは逃げる期限を決めたほうがいいかも。
そうすると次のことがやってきたときには、思案してたちょっと前の自分よりもほんのちょっとだけ成長しているから不安に感じてたときには思いもよらなかったアイデアがでたり、新たな助けがでてきたりする。

そんでいつか気づいたらいつの間にかキラキラしたおっきな世界ができたー‼︎ みたいな生き方していきたいな🌟 それはまだわからなくていいやとも思う。

同じ1分を感動とか、慈しみとか、愛情とか、普通のありがたさとか、自分で決めたからにはやっちゃるぞ!的な気持ちで、そういうことに焦点あてていく数を増やしたい。

偶然性にも身を任して予期せぬことに身を委ねてコントロールできない部分も楽しみたい。はしゃがなくても静かに楽しむ。つらいことも生きていれば喉元すぎればひとつのドラマ。愛を向ける対象があるならば、相手がこの世界のどこかで元気に生きているだけで計り知れないほど尊い。例えいなくても自分が心に思う気持ちは同じくらい尊い。

あ、あと自分のことは決められるけど、逆に言ったら自分以外のことは何1つ決められない。(コントロールできないし、しようと思わない方がいい。)自分と他者の間でできる1番いいなと思うことは、自分とまた違うその人の行き方や考えを尊重すること。それもいいね、的な視点で「自分の握りしめてる正義」みたいな枠にはめるんじゃなくて、やり方のパターンとか可能性を増やしていくとか、相手を知るための材料として見られる関係性だと思う。
私ができるからあなたもできるはず、ははまるとこもあれば通用しないこともある。押し込めるのはよくない。
これしてみたらうまくいくよ、試してみ!これは失敗パターン、気をつけな!みたいな助言を、自身の経験と思いやりからしてくれる、そんな人々が自分の周りにいればそれだけで私は満たされている。

長々と書いてみたけど、要するにまた次何していこうかなっとほんと日々思案中ってなわけです笑
友達とかにはそんなん知るかーい!ってつっこまれるけど、自分が1番知らない笑
でも小さな小さな一個一個は「うん!これっ☆」と決めてるよ笑

だからまた「うーんまあわかんないけどこれかなっトライしてみようっ」みたいな選択をしていきそう。「私は絶対これ!!これじゃなきゃ絶対ダメ!!目標はこれしかないんやー!」みたいな「こんな目標達成しなきゃわたしダメ」とかがなくしていて、逆に今はそれがいいかんじ。なんか、道が広い笑
てか意識的に広くしている。
世間にはバカにする人もいれば愛ある人もいる。いるもんなんだ、ってそんな感じでいい。自分の気持ちの選択も誰かの評価とかに委ねないで自分で意識的にきちんともっとく。そうすればちょっとしたいやな評価とかやっかみとかは気にならない。代わりに愛はうけとるしまわす。ほんとそれでいい。

挑戦、挑戦、実験、実験、修正、修正、変更、寄り道、昼寝でチャージ、また実験、ここは手抜き、これはやだけどやってみる、美味しいごはん。
そんな感じ〜‼︎(≧∇≦)