itomanoma

7年半の会社員を辞め、31歳単独フリータイムの心の変化を記録します。暇(itoma)の間(ma)?

外に出す「ことば」とは、「伝えようとすることが大事なもの」「何度も何度も紡いでいくことこそが大切なこと」

個人的な気づきですが、気付かされたことがあったので書きます。

 

私は幼少期からことばを音として発するのが苦手な子供で、

遊びは活発なんだけどおしゃべりでは全くなく「しゃべる」ことに関してはとても「寡黙」な子供でした。

 

今考えると、出した音が「一回出したら取り返しのとかないもの」だと感じていた部分が多くあったようで。

また、生真面目な性格から相手に伝えるには「的確に発したい」という気持ちが強く、

ボキャブラリーの少ない幼少時代は「自分でも把握・形容しきれない実像のない気持ち」「まだ未確定なこと」「よくわからないこと」などをことばにすることができず、結果どう発していいか自分でもわからない。という状況が多かったように感じます。ゆえに言葉にできない分の癇癪を起こすことも多々ありました。

もう一つ、理由はわかりませんが、自分に対して「なんとなくダイレクトに他者に対してことばを発する」こと自体のハードルが、気づいた時には高くなっていました。

 

そんな思いこみを経て成長し、

かれこれ今はもう31歳ですが、基本的に他者に対して自発的におしゃべりな方ではなく、多かれ少なかれ割と今でもことばを発することに対しては同じような思い込みをそのまま持ち続けていることに気がつきました。

 

しかしこの生まれて30年強の様々な場面とコミュニケーションを経てきた経験から、

染み付いた思い込みとば別に、ある事実も多々あるわけです。

 

実際は、ちょっとした会話やことばを発することにおいて多くの場面では、

「別に後から変わったら言い直せばいいもの」「(気持ちや言った時点で不確定なものなど)変わってもいいもの」「変えてもいいもの」「(言ったからといって)縛られなくてもいいもの」「その通りに必ずしもしなくても・ならなくてもいいもの」

であることが多いにしてあるということです。

 

それよりも、

「伝えようとする姿勢や行動がもっと大事なもの」

「何度も何度も(変わっていっても)紡いでいっていいもの。むしろ紡いでいくことが何より大切なこと」

だということです。

 

伝わってなければ伝え直せば良いし、誤解されたらまた伝えようと発すれば良いし、気持ちが変わったらまた変わったことをただ伝えれば良いんだと思いました。

むしろ、変わっても「コミュニケーションしていく姿勢」をこれからはどんどん選択していくような心がけの方が重要なんだと気付きました。

 

これはなんかの公約や重要な約束という話ではなく、

何気ない普段の会話レベルの話なので、

こんな風に気にも止めない方も多いかと思いますが、私のように思う人物もいる模様です。頭の中ではめちゃくちゃおしゃべりなんですがなかなか「口」を通して「音」としてダイレクトに出てこないんですよねー。

なので具体的に、聞いている人が状況を描けるように、また曖昧な心情を他者に理解してもらえるようにその場その場でちゃんと「音」を使って発することができる人たちと接していると人知れず「すごいなー」と感心してしまいます。

 

なので、今日の気づきでまずは自分に対してことばを発することのハードルが低くなれば良いなと思うのでした。