itomanoma

7年半の会社員を辞め、31歳単独フリータイムの心の変化を記録します。暇(itoma)の間(ma)?

上海蟹食べたい。小籠包じゃ足りない。

これからやらなくっちゃいけないことは、身ひとつながらやっぱりお金を稼ぐこと、月末なのに今日さぼった事務処理あしたやること。今月はなんとか乗り切れそうだ!な、毎日だけどまあそれでも良いか。と日々肯定すること。

 

タイトルは、くるりの最近わりかしずっと好きな新曲です。特に深い意味はありませんw

 

https://m.youtube.com/watch?v=NyddMMiViZc

やりたくないことをやめつづけること、実験。

いま、わたし、デザインを仕事にしていることは嫌いだ。

きらいっていうか、デザインというか、

それだけで表現するのはあまりにも大雑把すぎるし広域すぎるので

「仕事でやらなければならぬゼロからの絵作りを9割完成型での複数テイスト違いでの提案を」の部分。ちょっといまことばがうまく思いつかないので

また今度書きなおす。

 

さっき提案できるクオリティのものを3案+バリエーション作って

お客さんに送り終わった。Tシャツのグラフィック仕事でした。

提出しおわったこの瞬間はとても自分を誇らしく思う。だから毎回苦痛の時期を忘れちゃう。

でも今、いや作業に日のつく時間のずっと。

このTシャツの絵作りの仕事を

自分に来る受注だったとしても絵作り仕事の最後にしようと思っていた。

 

もの心ある幼少期の頃。

好きな本を買ってあげるからもっておいで。

そう言われたときに持って行ったものは

だいたい確か「塗り絵」の絵本だった。

 

小学校5-6年生のとき。

ずっと自分の机で水彩の絵を描いていた。何時間も何時間も。

ご飯で呼ばれる、その時間以外はずっと机に向かって

今度はこんなの描いてみたい、こんな色を塗っていたい。そんな実験に没頭してた。

それは本当にご飯を食べるとか友達と会ってるとか以外の時間

ずっとのことで、胸をときめかせて時間をわすれて没頭していた。

イマジネーション。水彩。色塗り。滲み。濁り。滲み具合。大事なライン。

この時間がなくなったらわたしどうしよう、って思ってた。

絵がなくなったらこの費やしてる時間、一体どうするの?

わたしもぬけのからになる。

そのときのわたしがやりたいことはまちがいなく、

「頭の中に浮かんだ絵を水彩着色で時間を忘れて描くこと」だった。

 

中学校ごろのとき。

好きな色塗りは好きな色塗りとしてやっていた。

それはもう心をときめかして。

けど「絵描くの没頭してるのってなんか暗いイメージだしイケてないんじゃ」

思い始めたけど油絵部に入った。

顧問の増爺(あだ名)は会話こそほとんどしないんだけど何故だかよくしてくれて。

部じゃない美術での空想画とかでも98点とかかくれた。(のちに数学は20点とかばかりになる)

さぼるとすぐバレた。

(余談と後日談)そして7年後くらいにわたしは増爺に再度会いに行き、進路の相談をしにいった。

その頃の先生は知らないうちに中学部の部長なっていて、美術が好きだろうにそれだけやってられる仕事でもなくなる立場にいて、美術授業だけでも毎年毎年覚えきれない生徒の数を見ているだろうに、更に中学から成人を越えた女子なんて見た目も雰囲気も別人みたいになってるわたしの訪問に、「あーお前かー」と覚えていてくれてまたそこでいきたい方向の背中を押してくれた。

 

高校の頃のとき。

なんかしら描いていたんだけど、

中学の頃の思春期ナンカイケテナインジャ感発症からあまり描かなくなった。

目にする色使いにときめくことも少なくなったような。

それでも高校を卒業したら桑沢とかバンタンとか美術系専門学校か、無理ならそのまま進学できる大学も美術専攻か、に行きたかった。

けど美術の進路への進学は、「食えない」と、親に禁止された。

 

大学生のとき。

美術の次に興味があるのは語学系くらいかな、

で進学したが、いざ就職活動のときにさしかかったとき

グラフィックデザイナーという職種があることを知って、

「これになろう!!」と決めた。

決めた時、一人暮らししてる自宅で、

となりに週3ぐらいで一緒に遊んでいたあゆみちゃんが

隣でぐうぐう寝てた。今でも覚えてる。

その時頭の中にあるイメージは

「自分の作ったものが渋谷の大型看板飾ってるイメージ」だった。

これならできるかも!と思った気持ちが強かった。(←まだ何も知らない青くささにご愛嬌笑 デザインも広告畑しか知らない頃)

だけどそれは、「これならお金も稼げるしきっと世間的(専門へ行くのを禁止した親にもぐうの音もいわさず)認めてもらえる道だ!」という発見という角度だった。

経験も美術系大学でもないわたしの就活は散々で(ちょっとしかしてないけど大体鼻で笑われて終わるからすぐ答えはでた笑)

マック、イラレ、フォトショ、デッサンを職務技術として短時間で学べるところに1年通うことにした。

 

就職してから。

掃除雑用のアシスタントからはじまり。

1年後くらいにグラフィックデザイナーになった。分野は最初にイメージした広告分野ではなく音楽系のエンタメ関係のいろいろ。

音楽は好きだったからそれは最初からなかなか良い出会いだった。

ただまあ夜はねれなかった、家に帰れなかった、朝は早かった、会社にずっといなきゃいけなかったし、無我夢中で目の当たりにする課題に取り組んでいた。

デザインの引き出しの中でわたしは案外アイデアを出すのが苦痛なタイプなのだと知った。

手を動かしながら、ここをこうしていこうここのいろをこうしていこう、

そしたらこんな感じになっていく。。。いいねいいね。

こんな感覚や色を塗ることが好きなことなんて全く持って忘れていた。

 

9年くらい経った。

ずっと付き合いのあるお客さんもついてくれた。

困った時に手伝って欲しいと依頼してくれる先輩同僚もいる。

最後にいた会社からは戻ってきてくれと2年越しにも言われる。

キャリアといえるものも気づいたらできてた?

会社を辞めフリーランスにもなった。

何の肩書きもないがちょこちょこと依頼も来るので会社辞めても案外ずっとデザインの仕事を継続していた。

「やめたいかも」「もったいないよ」幾度となくそう言われた。

この仕事の内容を知らない友人にほど言われた。

 

さっきTシャツの仕事のデザイン提案を提出した。いま。

 

やっぱ、やめようかなあ。

もうこの感覚でこの仕事をし続けていくこと。

最後のデザイン作りだ。と、おもって提出した。

いつからだろう、

ずっと見ないふりしてきていた。

 

でもいつからか実は、もうわたしは絵造りと仕事の狭間の捨てられて行くあれやこれやの部分をもう全然やりたくなかったんだ。

 

あの時やりたかったことや目指してみたことをずっと続けてきてやってきた。

あの時目指したことへの気持ちには1mmも間違いはない。そして全部実現してきた。

 

今やりたくないことをやめ続けていきたい。

 

Tシャツのデザイン、3案出して、

出し終わったあとの自分はいつも誇りに思う。

この感じ好きだ。本当に自分をねぎらいたいし、自分的完成度が全然ダメでも

「よくやった」と毎回思う。

しかしわたしはアイデア出しからイメージ構想からお客さんに出すものになるものまでなるところまで、は、本当に苦痛だ。

最近それがより一層顕著になってる。

 

 

私は色を塗るのが好きで、

好きなラインで絵を描くのが好きで、

でも心底それができるのは「仕事として」じゃなくて、

だけど「仕事として」得られる誇りやプライドやり方経験も沢山あって。

そしてある意味「仕事だから」あるプレッシャーのおかげで完成させられるビジュアルたち。

イデア出し、構成構想、修正対応、没になるのに作らなければいけないかわいい絵たち。

 

これからはいっこいっこ、

やりたくないことをやめ続けて見ることの

実験をしていこうと思います。

「やりたくないとこはどこか?」細かく細かく細分化してその単位でやめていく。

デザインは好きだ。求められた挿絵を描くのも好きだ。もちろんお客さんとの持ってく先を見据えた仕事としてありき。

オペレーターとして手を動かすのも好きだ。

 

んーわかんない、苦痛なのは、ただ、ただ、仕事で必要な捨てなきゃいけない絵造りをしなきゃいけない部分のストレスと、リクエストの中今わたしができるいいと思ってできたものをただ捨てないでほしいだけなのかも。(デザイナーはお客さんに対して選択肢をつくらないといけない)

 

はて、書いていてまだまだ青くさい自分を実感しました笑

さてはて3カ月

18日。今日をもって一人暮らし三カ月がちょうど経ちました。

 

人間の細胞は三カ月で丸一新されるとか何だとかのことで、

新たな生活を始めて三カ月め、

今感じていることあれやこれやも一つ節目かなと思っています。

 

最近思うことあれこれ。

 

自分の基盤ベースに「不安」が乗っかった。

・なくなるお金、安定しない入金、そのバランス。

 

ノイズは取り払われた

・あれやこれやのノイズ、やつあたりのノイズ、しがらみのノイズ、コントロール欲のノイズ、自己卑下のノイズ。

 

作業場としての自宅

・簡素で寂しい

・「小屋」感

 

制限への耐性

・日々養われ中

 

もやもや

・パートナーシップに思う小さな小さなことの積み重ね

 

気づき

・人は「ないもの」の方が目に付きやすい

・実際にお金はかけなくてもいいのだけど「ラグジュアリーな気持ち」を味わいたい。

=「ラグジュアリーな気持ち」になれれば満足する。

・かわいくしたい、わたしは身だしなみも気分も自分で整えたい。

・腑に落とすと行動できる。落ちると勝手に行動してる。落ちないとやろうとしていることでもいつまでたっても行動できない。

・「ずっとありがたみを感じ続けられたらいいな」

・今当たり前になることの前に当たり前じゃなかったときのその過渡期に感じている新鮮な気持ちを心に具体的にきちんとメモしていたい。

「あれやりなさい」「これやった?」と言われなくなる環境がおとななのかなとふと思う。

風邪をひいています。今は治りかけ。

起きているときは体力があまり無いなと思う感じで、夜寝ると咳が出てきて寝づらい状態。

 

今の心の平和を数える。

・ひとりでひとりの時間を過ごせる。本読める、堕落できる、睡眠できる。酒も飲める。

・身を気にして会話できる相手がいる。意識を向けてくれる人がいる。

・時間を気にせずそのときやりたいことに身を任せられる。

・ノイズの遮断がされている。実家にいたときは「母」「母の見るテレビ」

 

今の心の不和を数える。

・水曜アップのイラスト仕事のプレッシャー。「やらなくちゃ感」(つかれてる)

・火曜金曜とはいる先輩会社の仕事に最近なんとなく「いきづまり」感を感じている。

(つかれているだけか?)

・風邪をひいていて体調が悪い(なかなかずるずるすっきり治らない)

・次の仕事の動くタイミング、重なって頭の中が常に「これやらなきゃあれやらなきゃ」ずっとアクセク忙しくなること。→これが一番イヤ、っていうかものすごく気力体力を消耗する。

・家の日当たりがあまり良く無いのと、少し窮屈さ、を感じる。

(ベッドとメイン活動する部屋は別に分けたい、午前中や昼に太陽光が差し込む部屋がいい。できれば2面以上採光あるまどりがいい。太陽光の熱であたたまりたい。)

・お金の心配

 

 

はて、先日明け方、

友人のラインでの話をうんうんと聞くやりとりのあと

案外にお酒が進みながら寝てまだアルコールが体内に残ったままの状態でおぼろげな意識の中夢を見た。

「供養しなさい」ということを言われて、「なにに?」と聞いたら

「自分に」というメッセージを言われた夢を見た。

「自分を供養しろ」キーワードとして目覚めた後にこれがとても印象的に残る夢だった。供養、はて。

 

部屋にお花も飾ってるし、食べ物もお腹が空いたら食べてるし、

小さいけど「自分の場」としての住処を今は手に入れたし、

唯一できてないことといえば体調不良からの部屋の中の物が散乱状態になってることくらいかなあとぼんやりとかんがえる。

 

居・食・花、これを綺麗にすること供えることにくわえて、

自分をなぐさめていたわりましょう、その心に寄り添いましょう、ってことかな。

 

しかし供養するってことは一旦成仏するしないの状態にいるってわけで、

いままでの私いつの間に死んだんかな。

供養してまたあたらしい感覚でどんどんいけってことかなあ。

生きてるうちに成仏して供養してまた生まれ変わってを繰り返していく。

 

やりたくないこと全部今「やっぱやーーめっぴーーーー」で投げすてたーいって思っているね、いま。だって体しんどいんだもんね。

 

ほんのちょっとの「やらなくちゃ感」で起こる行動は結構いいエッセンスで、

いい刺激にもなるしでほんのちょっとは欲しいんだけど、

(約束があるから何時に起きなくちゃ!とか、お金稼ぐもそうだけど同じくらい暇つぶし的な気持ちも大いにある感じで週2は会社行かなくちゃ!とか、そのくらいのレベルの「やらなくちゃ感」)

大多数がやらなくちゃ感に支配された物事は自分の精神と体力をどんどん蝕んでいく化け物的に代物に気づいたら変化してく。

「やらなくちゃ感」はこわいのである。

 

ナム。

 

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自分メモ:

手痛&肩の強度の凝り→唇→目(目頭と目尻のものもらいの始まり的な)→風邪(全身)、右上の親知らずが生えてきたので来週親知らずを抜く。

 

実に、、整形外科→皮膚科→眼科→歯医者、、、

風邪は自前の薬でなんとか乗り切りそうなものの、、

こんなに病院立て続けに行ったのははじめてかも。

免疫力の低下からのアレルギーとかウィルス感染とかかなあ。

まさか親知らずまで生えてくるとは。

そうやって世界で遊んでる。

おかねのことでなやむこと。

 

生活するのにに必要で。愛する人に使うため。

愛する我が子育てるため。やりたい生活営むため。行きたい場所で過ごすため。

必要なお金足りないお金どうしたらよいのどうしたらよいの。

 

そうやって世界で遊んでる。

 

 

にんげんかんけいでなやむこと。

 

好きな人と誤解した。大事な人と喧嘩した。

大切な人をうしなった。家族との諍い、すきなひと、きらいなひと。

いい距離感、近すぎる、遠すぎる、さみしい、さみしくない。

くやしい、くやしくない。近づきたい、遠ざけたい。

楽しみたい、会いたくも無い。

この気持ちどうしたらよいのどうしたらよいの。

 

そうやって世界で遊んでる。

 

 

じぶんのようしをおもうこと。

 

猫背だよ、ふとってきたの?やせすぎじゃない?

歯並びがきになるね、身長はどのくらい?

セクシーさはどのくらい?笑顔はかわいい?

むくんでる?すっきりしてる?笑えてる?おこってる?

こうなりたいな、ああなりたいな。

あの人なんてきれいだろう、あの人とっても素敵だな。

変えられないこのことどうしたらよいのどうしたらよいの。 

 

そうやって世界で遊んでる。

 

 

すきなひととことをみつけること。

 

失うのが怖いね。

 

そうやって世界で遊んでる。

 

 

うまれてきたこと。

 

全部全部感じようとおもってやってきたこと。

 

そうやって世界で遊んでる。

それこそが、すべてはそれのためにこの世界にやってきてること。

この世界をこの感情をこの器をつかっていつも、いつも、遊んでる。

なやみ、あせり、虚勢、こわさ、欠如、がまん、不足。

どうしたらよいのどうしたらよいの? 

 

それも、ぜんぶ あそび。

ないとこにわざわざ「問題」つくって「解決」あそび。

 

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たぶん、そうしないと人間ヒマでおかしくなっちゃうんだろうなあ。

満ち満ちてなんのストレスもない世界は、

きっとそれこそがストレスになるのだろう。

だけど、問題は実はまやかし。

 

まやかしの問題に頭悩ませて、だからこそその反動というか表裏で得て感じられる嬉しい楽しい足りてる満足大好き愛情喜び満ち足りた気持ち。

引き立てましょう。

 

「たった今この1分だけは間違いなく幸せ」をずっと見つけて感じていられる自分でいたい。

見守る力

意識を向けることは「愛」だ。

見守る力は「信頼」だ。

 

なにもせず、ただ、相手を見守る。

 

これに勝る愛情と信頼はないかもしれないと時に思う。

 

口出しせず、先回りせずただ、あなたの能力と起き上がる力を信じて

ただ「見守る」

 

これって結構大変。

 

でも心からの信頼と、希望と、先の良い成長とを信じた上でしかできないこと。

 

あれやこれや言わない。わたしはしらない。

だけど、意識はむけてる。

ただいつも窓の鍵と、いやなことのあったとき閉まりかけるシャッターも

ほんのちょっとだけ隙間を空けておく。

 

あれしちゃだめこれしちゃだめ

これはせいかいこれはまちがい

こうしたほうがいいこうするとしっぱい

ちがう きをつけて あぶないよ やらないで

 

 

失敗して間違えて小さくて寂しくて

悲しくて頼りたくて心がズキンとしてるそのこと

そのつもりはないのに変に伝わること

いろんなこと

 

 

全部見守りましょう。

繰り返す同じこと、

意図的にしているモラルに欠けたこと、

ちょっとした言葉のチョイスのミス。

 

あなたのことをそのまま見るということに関しては

すべてすべてそのまま見守る。わたしはなんにもしない、けど、意識は向ける。

 

見守ることは愛だ。

意識を向けないことこそが、もう、自分の世界には全く無いこと。

存在の抹消です。

 

見守ること、

なにもしないけど目が合えばニコッと笑うこと。

おこった

とある先日、大先輩におこった。

これよかったのかな。わたし孤立したら嫌だな。不安に思う。

 

とある先日、すきな人におこった。

わたしの身勝手だったかな。未熟さゆえかな。

ラインする術もなくなり、気持ちも離れるのかな?わからない。けど、焦ってもいない。

たぶん揺らがない信頼があるからかな。

でも私の思い違いもあるでしょう。

けど上手く説明はしたく無いけどゆずれないところも間違いなくあったこと。

 

でも、わたしのおこった、って気持ち、

悪いもんじゃない。悪者ではない。

悲しかったことを表現する。

おこったことを表現する。

ただの感情的な爆発ではない。そんなのはやつあたりという。

 

半分はわたしの問題だとしても、誰かがいる話は半分は相手のになう話。

大切なことを大切にしましょう。

自分の大切なことを大切にしてくれる隣人を大切にしましょう。

自分の気持ちも大切にしましょう。

間違えちゃったときは、わたしは素直にあやまります。ごめんなさい。

誤解だったとしても、ごめんなさい。

誤解させてしまったとしても、ごめんなさい。

わたしの大事にしているみんなもそう。

 

そして、おこったこと、わたしの大事にしている先輩やすきな人。

わたしがおこったことで何か思うところ、たぶんある。

それが全部いい結果になってくれるとそう思おう。不安や孤独はあったまま。

 

おこるってでも大事にしてる人にしか多分しない。わたしの未熟さもあるけど。うわべの付き合いにおこることはまずない。

 

昨日は友人結婚式で、素晴らしい1日を過ごしました。それでいい、たぶん。

 わたしの生活。

 

だけど、たぶん怒ることの下にあるほんとうの気持ちを自分でことばにできるくらいきちんと見極めて、ちゃんとそれを伝えよう。

それが一番大事だな。