itomanoma

7年半の会社員を辞め、31歳単独フリータイムの心の変化を記録します。暇(itoma)の間(ma)?

次のステージ?

また実生活での変化のときです😊
別れを告げる生活にはさみしさを覚える。

「愛着」は「モノ」や「ヒト」にだけに所属するものではないのだねー。わたしの選んだ生活への愛着!

いろんな人の愛を受けていまのわたしがいます😊
アリガタヤ、アリガタヤ。

 

でも、自分の心の中の一番はいつも決まっています。

わたしだけしか知らない永遠の一番の場所😌

 

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(love🌈amy) 

 

最近はいろんなことに気づいてしまいました😇

この自由時間はそんな感覚を深める時期だったのだなと。

 

学び終わると次にゆくのだな〜 たぶん。

今は仕上げの時期です。

 

みえてる世界はただの自分の思想のフィードバック

過去も、未来もあんまり興味が薄くなってって

今が全てで、

だけど全ての一瞬一瞬が素晴らしくてダイヤモンドみたいで

大好きでかけがえのない時間たちが、

いっこいっこ記録してないとどんどん消え落ちちゃう。

だから余計に全部記録してたい。

思いは文で。目の当たりにした世界は写真で。

この瞬間も写真で。

発言は誰かの心に。喜びの共有の時間も自分の中と誰かの心に。

 

もはや見えてるだけの世界に興味がなくなっていて、

その世界を作り上げている自分の内側の方に

今は熱心な興味が溢れています。

 

全ては今のこの瞬間だけ体験できること。

そのクリエイションは自分がしてること。

いろんなことが腑に落ちそうだ。

そんないまです。

すべてがぴったりくるときのこと。

2017/9月某日

ふとね、青柳拓次ソロ名義KAMA AINAでの楽曲聞きたくなってyoutubeでいつものように家で曲を流す。

青柳拓次さんご本人の名前としては認識してなかったんだけど、なんかちょっと興味のあったLITTLECREATURESのメンバーだったとはじめてそこで知る笑

関連する曲が流れてだったか、キーワードで知ってだかで、その流れで児玉奈央の楽曲が流れてくる。そこで初めて聞いた「きみだけのマジックアワー」

聞いた瞬間に、聞いてる最中にも「わー!?涙!」みたいなかんじになっちゃって、

涙が出てくる出てくる。なんだこりゃの感じ。いてもたってもいられない。彼女の他の曲もいろいろ聞いてみるも、そんななるのはこの曲だけ。

とりあえず曲は買う笑

これやべー 教えなきゃ、教えなきゃ、なんだかいまとっても辛そうな知らないあのこにまず聞いて欲しいし。

つらそうでもないけどなんかわたしの身のまわりにも!

とにかくなんだか私だけで聞くんじゃなくてシェアしたい。

からの超ヘビロテ。歩きながら、出かけながら、聞く聞く聞く。

「マジックアワー」とは、夕日の落ちるたった10分くらいの

はっとするほど綺麗な空の、光の移り変わりが刻々と変わる瞬間のこと。

 

2017/9/23 秋分の日

昼と夜の時間が対等になる日。あの世とこの世がつながる日。

その時のマジックアワーだなんて超貴重だなー、

この日の夕日とともにこの曲を大事な人に送ろう、と思ったんだけど、

この日の夕日時間移動してて夕日取れなかったので見送った笑

(ちなみにその翌日のほうがめっちゃ夕焼け綺麗だった笑)

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2017/10/4

児玉奈央さんの情報にて、

2017/10/09に青柳拓次×児玉奈央でのライブがあると知る。しかもフリーライブ。

ビルボードとかでやってるお人たちが生で!超ちっちゃなとこで!フリーだよ〜

やる場所は後から知ったら有名な建築場所。

いくしかないでしょー!ととりあえず自分は行くのを決めて

一緒に共有したい!できそうな音楽好きな大事な人を誘う。

だけど反面、一人でじっくり聴きたいなあとも思っている自分もいる。

どっちも満たしたい...

けど絶対好きな人々はまあ急なのもあってことごとく予定合わず。

 

2017/10/9 12:20

16時半からのライブの整理券をお昼の12時過ぎから取りに行ったのだけど、

配布開始20分でもうなくなってた(ガーン!!!)

そこにいたスタッフのお兄さんに聞く。

「このフリーライブいきたくて今日ここきたんですけどもうだめですか?」

「整理券はないけど、とりあえずその時間に現地行ってみたら(いいことあるかも、ないかもよ。ニコ^^)」

 

一緒に行くことになってた、友人は結局仕事で来れず。

結局一人で堪能することになった。(整理券ないけどいけるかなあ?まあお兄さんいいって言ってたしいけるかなあ)

ライブまでの時間は1年以上ぶりの友人とお昼がてら過ごす。これをきっかけに連絡を取り、これをきっかけに顔を合わせ、ただ夕方からは予定があるとのことでライブを一緒に行くわけではない。

この日の池上線は全線無料開放してたのでやばいくらい混んでいたので、フリーとはいえ乗りたくないね〜笑と、昼の後ぷらぷら散歩する。

今日は秋晴れのとても日差しも風もとても気持ちいい気候で40分くらいぶらぶら散歩しながら友人は「こんな時間忘れてた〜!さんぽきもちいいね!」となんだか勝手に楽しんでくれてた。会ってよかった。

 

2017/10/9 16:10

会場に着く。整理券ない。けど立ち見で入れるもんだと思っててきちゃった。

(ネットに書いてあったの)

STAFF「はいれませんよ!」

「えっ!!!!!!(ガーン!!!!)」立ち見OKってネットに書いてあったのに!!!

一緒に来てくれた友人とはじゃあねとここでバイバイ。

STAFF「立ち見も整理券ある人限定で...でもここまで来てくれたなら、、とりあえず入り口入っていいよ。」

「わあありがとうございます!涙」

中に入って、また、

 

STAFF「整理券ないの!だめなんだよ〜」

「えっ!!!!!!(ガーン!!!!)」とりあえず中に入っていいよって言われたのに!!!

STAFF「うしろのうしろのずっと立ちで狭いスペースならいいですよ(小声)とりあえず中庭でお待ち下さい。」

「全然かまいません!(中庭でこもれ音くらいで聞けるのかなそれでも十分だわあ)」

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結果...

ステージ内で最初は最初立ち見で入れて、しかも立ってるほうが演奏者たちよく見えて素晴らしい場所で、第二部が始まった時にはいれてくれたSTAFFさんがわざわざ優しく声をかけてくださって「あっちの方まだ席空いてるから座っていいですよ^^」と。

なんか隣に座っていたひとも「席空いてるから座って?」と声をかけてくれたりもした。

 

 

ライブは素晴らしかったことにも加えて結局いろんな人の優しさにも触れられて素晴らしい時間でした。

一人で聞けた分、思う存分その時間と空間に身を委ねることもできました。

 ぽわんぽわんとろんとろん。

 

あのとき案内してくれた女性のSTAFFさん、本当に優しかった。

改めて感謝を伝えたかったのだけど、帰り際伝えられなかったのでここで謝辞を送りたいです。マニュアルだけではない、ひととひとのあたたかさと思いやりに包まれていた空間と時間でした。感謝。

 

そしてね、はじめて生の演奏を聴いた児玉奈央さん。

この曲をはじめて聴いたときに私はわーっと訳も分からないけど涙がいっぱい流れてきちゃう!ってのを体験して「なんでだろう?」とも思いながらすごく惹かれて迷わず楽曲を買い、この度ライブまで足を運ぶ流れまでなったのですが、

その彼女の今日のMC。

 

「たとえば夕日の落ちる瞬間が綺麗ではっと魅入られて、ときにわけもわからなくただ溢れるように涙が溢れてきちゃう瞬間ってありますよね、そんな気持ちでこの曲を作りました」

(ニュアンスがこの通りじゃなかったらごめんなさい)

と言っていたのが、わたしがはじめてこの曲にであったときの気持ちと全く一緒で、

そんな思いが、これを受け取ったときの私に、ダイレクトに届いて来ていたんだな、と思いました。

 

www.youtube.com

「人生は『自分の好き』を具現化する楽しみの中にいるのかも」

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閉塞感(きらいなもの)と拡張(すきなもの)について。私の考える「わたしの」貧困と豊かさとか。あと営業しない営業、的なスタイル。みたいなかんじになってたなーみたいなメモ。

久しぶりの仕事関係の人にご飯に誘われ帰ってきた帰り道。

ぽわんぽわんと考えるこの時間がいろんな気づくことがよくある。

あとすごいいろんな発見は明け方のまどろみの中に大抵する。

 

 

ともあれ。

おそらく私の考えるわたし自身がいちばん嫌いなこと、というか危機感を感じる感覚は「気持ちの貧しさ」

それは、つまるところイメージ(想像力)と可能性(希望)の制限と窮屈さ。

「貧困」ていうことばで表すと語弊がたくさんありそうだけど、

今言っているその意味はお金の有無、家の広さ、人間関係の孤独とかそういうののモノサシでは一切ない。

 

どうやったらもっと「拡張」した考え取り入れられるかなあ。

どうやったらもっと今できる私の想像を超えた予期せぬ「想像の世界を創造」できるかなあ。

 

そんなイメージを膨らませていけることや広がっていく世界が

私が求める「豊かさ」を満たしてくれる。

 

そんな発想すらできない環境や状況、制限の中に身を置くことが

わたしのなかの貧困なのである。

でもこれは結構知らないうちに気づかないうちに陥りがち。

 

お金がなくとも、陽のあたらない1Kに住んでいても、来週何してるのかもわからない生活でも、そんなの一切関係ない。

じぶんが新しい拡張するような発想をしたり

そんな気持ちになれる場所に自分の気持ちを置く工夫をしたり、

そんな世界を共有できる人間関係がまわりにいたり。

私に制限やルールや圧力で制限しようとする環境に気づいたらそこから自らはなれてみる選択をしてくこと。

 

それだけでいいのだなー。

 

仕事面で言えば最近は「営業しないことがわたしの営業スタイル」に勝手になってる、

のかもしれない!!?ような気分になりました。

というか、それってすごいことなんだよ!と、言われるから

ようやくそれを受け取ろうというきもちになったというか。

嫌味はないのだけどたしかに旗もあげてないし、

生活しなきゃいけないけどガツガツしたことないし、

しようとも思わないままクラゲみたいにやってきてしまった。

けどいろいろ向こうから「げんき?」と声かけてくれたり

お仕事アプローチが来たりして、そんな口説きを受けるたびに

「買いかぶらないでくれー!!!!やめてくれー!!!!!」

なんて素直に受け取れなくて。

ただまあとりあえずラッキーだなあありがたいなあ、と考えて。

結果「わたしってたぶんただ使いやすいだけなのよ!そこがわたしのウリ?」みたいに思ってたのだけど。受け取るのが恥ずかしかったり堂々と受けとって「でしょ!♡」なんて言えるくらいの自分の見積もりもできなくて自信がなかったんです。

 

 

けど、それが結果的に営業になってしまってったというか?

自分が営業できない分周りが勝手にしてくれた?というか?

逆に自分から営業してたらもしかしたら起きてない現象かもしれないなーとも思ったり?

 

とにもかくにも、わたしにとって

「閉塞感と想像力の欠如」こそが気持ちでいう貧困で

拡張と予期せぬ未来に希望を託せるこころのゆとり・制限のなかでも楽しめるきもちの余白、こそが私の思うゆたかさです。だってそれを自分のコアに持っていたらいつだってどんなときだって笑えるでしょ。ふと不安にかられることももちろんあるけど、それをまるごとのみこむイメージを楽しむことだってできる。

あとこの先どんな予期しない素敵なことが起きるのだろうってわくわくできる。

お金があるなし贅沢できるできない、仕事あるなし、

という環境も大いにそりゃあ影響は及ぼすけど、コアな部分ではそんな条件に左右されない部分なんだよなーと気付かされたかえりみち。

逆に言うと「おかねがないから」「これできない」

「せきにんあるから」「このはっそうはかんがえれないしせんたくしからはいじょする」

そんなことやってることにきづいたら

「おっとっと!そこは原因だと思いがちだけど根っこは違うんだぞ」と意識を変えて、

そう感じてしまう現在を作ってる原因が今の環境ならばそこをできる範囲で

調節していくことが真の意味での「工夫」でありじぶんのご機嫌でいられる「環境づくり」であったり「愛されポイント」の構築につながるんだろうと思いました。

 

きょうはいいところにきづいてようやく今まで求めてたことを言語化できたぞ!!!

って思って書いてみたからもっとうまくわかりやすく丁寧に書きたかったんだけど、まだまだ語弊を生んでそうな気もするし。けどまあ、今のアウトプットでは限界だわーー。

 

しかしまあ営業しない営業スタイルは気づいてなくても往々にしてあるかもね、

とおもったのでした。

 

自分の一番やりたい事を一番最初にやってしまおう😊という気持ちが充填されすぎている最近の話。あと一週間くらいで精査してどんどん行動につなげていこう、いくしかない、もういちばんさきにやっちゃおー。っという気持ち。

ワンステップワンステップきざんでいく日々もいいけれど、

もう一番やりたい事を先に先取りしちゃいたいなあという意欲と

めんどくささと、行動欲と、まずはそっから(一番やりたい事をやってみたところから)考えてみたら?なんて気持ちが右上がりになっているここ数日です。

 

1週間くらいでピークをむかえる予感なので、

それまでにふわふわとしたイメージの中から

具体的に言語化できるレベルまで落とし込んで精査してとりあえずやってしまうという決意をしそうです。

 

 

「お金ができたら」「ひとりじゃなければ」「時間をつくったら」「安心できたら」

「適切なタイミングになったら」「誰かに迷惑をかけないのならば」

 

とかいう部類のものたちがなんとなく

一気にめんどくさくなってしまって。

じゃあ一番先に私が一番やりたい事をやっといて、

あとはオプションでいけばいいんじゃない。という、かんじ。

 

 

33歳、なんだか今まで生きてきた人生からの

知らないうちに撒いてしまっていた種たちの

回収の時期になってきたような気がします。

 

知らないうちにしてた間引きも済んで、青くて元気な葉っぱたちから「おいしそうだね♡」と積み上げる時期。

いうなればこれからの人生ももうオプションで肩の力を抜いてただ楽しむだけでいいんじゃないかしらという感覚。

 

じゃあそのしたいことってなに?と聞かれたら、それを見つける秘訣というか

具体的に探す手法としては「他者を見てて」「なんだか嫉妬しちゃうこと」

興味があって、やりたくて、でもまだできてなくて、でも先を越されるとすごい悔しいというか「いいな!」がうずめくこと。「へーいいね」ではなく「うわ!やられた!なんか見ててむかつくっていうかなんだろう?別に見たくないし!(無意識にプイ!)」的なやつ。

 

やればひとつずつなくなる^^

 

やるぞって思ってるけど、別に超積極的にアクション起こし続けるわけでもなく、

ただ決めたからその流れに身をまかせていくだけのゆるい感覚です。

 

 

「この仕事と質とスピードなら今の倍出せるよ!」

10月からなくなりそうな仕事のかわりにまた舞い込んできそうな新しい仕事。

ラッキーなのか?ぬか喜びなのか?ほんとかなあ??

その答えはもうちょっと未来になってみないとわからないけれど、

とりあえずそんな話が来ただけでまあラッキー感の先取りしてもいいでしょ。

とりあえずまたポートフォリオをまとめるー今日は眠いからまた明日!

 

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あのこはおかねがなくちゃいけないことを、あたまではわかってるけどこころでは「なんとなくあく!」って思ってる事を、わたしはそんなこと全く思わないどころか真逆だからなんだかいやだなあ、良し悪しではかるものじゃないしわたしみたいの感覚のほうがきっといいのになあ!って思ってたんだけど、

それすらも「そーですか😊それもよか!」って見守る事にしました。

あっても幸せだしなくても幸せです。

すきでも幸せきらいでも幸せ。

なくてもやりたいことをやれるんだの認識が肚落ちしている事こそがきっとすばらしいことです。

 

世界をひっくり返せ。

解決できることは心配する必要がない。解決できないことは心配しても無駄である。---ダライ・ラマ

旧友からの久しぶりの連絡。

昔よく遊んだ仲間からまたみんなでこれやろうよと。

 

今週暇だなと思っていた矢先に今週中の仕事の発注。

 

「絶対にこうする」と思っていたことが、

自分の気持ちと裏腹に、

行動はみごとにひっくり返っては、

あたまとこころは別物でときにわりきれないこともあると実感する人間くささ。

 

からの交わす握手。

 

やっぱり楽しい仕事(どっちだよ!)

 

義理と人情。お世話と恩。

意識して見ていてくれることと対話。

 

自分が自分に許してないことがこんなとこにあったのかいと気づく旅。

 

外にでて人と話すたびに人に触れるたびに、自分のインナーモストにふかくふかくもぐる旅をいつもしてる。

大勢と出会い外に出るのも知らない場所に繰り出すのも、ひとりきりで内に入っていくこととイコールなわたしの世界。

 

なにかとおもしろい毎日です。